私は体が弱いほうだと思います。なのでつい悲観的になったりマイナス思考になりがちでした。だけどある時期から楽観的に思えるようになりました。
それは、高校を卒業したての5月頃のことでした・・
体が弱いと思う理由
まずは、僕のことを少しお話したいと思います。
僕自身、体が弱いと思うのは、以下のようなことからです。
- 小さい頃から病弱(風邪、めまい、鼻水、胃痛、謎の痛み)
- 年齢を重ねるにつれて、様々な病気の発症(肝臓、大腸、関節炎、肺、目、耳、鼻、アレルギー、尿管結石)
などなど、細かいものを挙げるときりが無いのでざっくりと言うとこんな感じです。
小さい頃から、車に10分乗っただけで気持ち悪くなり、遊園地に行って乗り物に乗ったら鼻血が出てしまい数時間も横になる羽目になったり(せっかく行ったのに満喫できなかった)、まぁ本当に子供のころから体が弱かったわけです。
周りの人にも両親にも迷惑かけたと思います。
好きなことも諦めて
僕はサッカーが好きで、小学生の頃からやっており、中高と当たり前のように続けられるものだと思っていました。
しかし、肺の病気になってからスポーツ全般が出来なくなり、当然サッカーをもプレイすることができなくなりました。
スポーツだけではありません。肺の病気は完治しても再発を繰り返すもので、無理は禁物だったので、安静にしながら生活することが約束されていました。
外出もままならなかったし、ちょっとしたことでも肺に負担がかかることは難しく、ずっと歯がゆい思いをしてきました。
そのせいで、他人からは白い目で見られるときもありましたし、いじめ的な仕打ちを受けたことも何度かあります。
結果、体が弱いことで、色々なことを諦めてきました。
ほんとウンザリって思います。
突然の旅立ちはやってくる
僕が楽観的というか、体が弱いことに対してそこまでネガティブにならなくなったのは、身近な人達がこの世から旅立ったことがきっかけでした。
身近な人とは、父親と友人です。
体が強かった友人
友人は僕とは真逆で、体が強かったほうだと思います。
風邪で学校を休んだりしているところを見たこともありませんし、病気や怪我をしたという話も殆ど聞いたことがありません。
ですが、20代前半のときに、突然の体調不良から癌を患ってしまい治療を続けたのにも関わらず、二年後に亡くなりました。
20年来の友人だったので、すごく悲しかったです。
あの涙は忘れませんし、今でもたまに思い出します。
許せない父
高校を卒業して新生活が始まろうとしていたある朝、僕が目覚めると父は自ら命を絶っていました。
大バカやろうです。
僕の父は、決して良い父親ではありませんでした。
酒癖は悪かったし、家にいないこともしょっちゅうで、母親をよく泣かしていました。
そんな父親でもすごく悲しかった。
命の儚さ
命は計り知れないものなので、そのことについて簡単にどうこう言うつもりはありません。
ただ、僕より体が強い同年代の友人の突然の他界、自ら命を絶って他界した僕の父親、いつ何が起こるかわからない現実を実際に目にした時、「体が弱い」ことで悲観的になっていたことが何だか恥ずかしくなったというか、もう少し楽に考えてもいいんじゃないか、そう思えるようになりました。
それはきっと命の重みを感じることができたからだと思います。
体が弱いとは?
体が弱いといっても主に「肉体的」「精神的」の2種類があると思います。
僕はどちらも強いとは言えませんが、しいていうなら肉体的な部分が弱い気がします。
そもそも、この記事を書くとき「体が弱いって自分だけが思っているだけなんじゃ?」と思い執筆することに迷いがありました。
というのも「体が弱いに対して定義がないから」です。
あるわけありませんよね。だって、人それぞれ色んな体質や病気などを抱えて生きています。
個々に辛さや気持ちは計り知れないわけですから、もしかしたらこの記事を読んでくれている人の中には「私のが弱いし辛い」と感じる人もいると思います。
どう自分自身を捉えるかは大切
僕は、今まで出会ってきた人の中で考えてみると、やっぱり自分は体が弱いなって思います。
けれど、それは僕が知っている身近な世界の話だけであって、実際に僕より体のことで悩んでいる人は沢山いると思います。
これってけっこう大事なことで、失礼な捉え方になってしまうかもしれませんが、「自分なんて軽いほうだ、もっと辛い人がいるんだから頑張らなきゃ」という考えや気持ちがあると無いとでは、精神的な面でだいぶ違うように思えます。
体が弱い僕が続けている仕事とは
体が弱いと仕事をするにしても大変だったりします。
これは僕自身の話ですが、職場で迷惑をかけてしまい転職をせざるを得ない時も何回かありましたし、何より人間関係も複雑になります。
良い職場だと、理解してくれるところもあるかもしれませんが、そういったところは少なく、大体があまり良く思わないのが現実です。
そりゃあ、健康体の人のほうが安心して仕事を任せられますからね。
僕は職を点々としましたが、最終的に自分自身が「どう体に負担をかけず、仕事を続けることができるか?」というところに重きを置き、自分に適している環境を作ることに決めました。
詳しくは以下をご覧ください。
体が弱いことは理解されない!?
どんな場面かにもよりますが、体が弱いことはほぼ理解されない、と僕は思っています。
同じ病気などを抱えている人同士は別です。
きっと共感できるところが沢山あるかもしれません。
ただ、同じ病気や症状になったことがない人、ましてや体が強い人には絶対にわかってもらえることはないと思います。
体が強い人が悪いというわけではありません。
単純に知らないとわかりませんよね。
一番身近であろう家族だって、寄り添って理解しようとしてくれるかもしれませんが、残念なことにわかりあえることはないと思っています。
体が弱い男性は敬遠されがち?
ここでいうお話は女性に関してです。
例えば、初対面の女性に「僕(俺)体が弱いんだけどさ」なんて話したら、大抵の人はあまり良いイメージは持たないと思います。
後は、人によりけりですかね。
僕はこれまであまり気にしたことはありません。
中には、体が弱い男は頼りないとか、体が弱い男性は守ってくれなそう、などと鋭い意見をしてくる女性もおられます。
おっしゃりたいことはすごくわかりますが、本当にお互いのことを想っている同士ならそんなの関係ないと思いますし、無理にそういった男性を選ぶこともありません。
ようは自分の気持ち次第ですよね。
僕は体が弱いけど、ある女性とお付き合いし、結婚することができました。
体のことで迷惑をかけてしまうこともありますが、可能な限り負担にならないよう気を付けるようにしていますし、その分何かしらで恩返しするようにしています。
幸い体のことを理解してくれようとしてくれる女性なので助かっています。
最後に
今回は「体(身体)が弱い私が40年以上を生活して思うこと・感じること」というテーマでお話しさせていただきました。
体が弱くても強くても、正直いつ亡くなるかは誰にもわかりません。
体が弱いことに対して、そこまで考えなくなったとはいえ、悔しかったり、ウンザリすることが全くないといったら嘘になります。
けれど、体が弱かったことで見てきた景色や体験は、ある意味、僕の経験値でもあり宝だと思っています。
それから大事だなって思うことは、その日その日を一生懸命過ごすことですかね。
これは僕のポリシーでもあります。
人生まだまだなので、自分の体と上手に向き合い、できるだけストレスを貯めず楽しく過ごしていく限りです。